翻訳と辞書
Words near each other
・ マリー・イルズ
・ マリー・イン・バイエルン
・ マリー・ウィグマン
・ マリー・ウォールキャムプ
・ マリー・ウォールキャンプ
・ マリー・エリザベート
・ マリー・エリザベート・ド・フランス
・ マリー・エリザベート・ド・ヴァロワ
・ マリー・エレオノーレ・ツー・ヴィート
・ マリー・エレオノーレ・フォン・ブランデンブルク
マリー・エレオノーレ・フォン・ブランデンブルク (1599-1655)
・ マリー・エレオノーレ・フォン・ブランデンブルク (1607-1675)
・ マリー・オリギン
・ マリー・カジミール・ド・ラ・グランジェ・ダルキアン
・ マリー・カジミール・ド・ラ・グランジュ・ダルキアン
・ マリー・カマルゴ
・ マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン
・ マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン=シシレ
・ マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン=シシレ (1822-1869)
・ マリー・カヴァリエ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マリー・エレオノーレ・フォン・ブランデンブルク (1599-1655) : ウィキペディア日本語版
マリア・エレオノーラ・フォン・ブランデンブルク

マリア・エレオノーラ・フォン・ブランデンブルク(Maria Eleonora von Brandenburg, 1599年11月11日 - 1655年3月28日)は、スウェーデン王グスタフ2世アドルフの王妃。ブランデンブルク選帝侯ヨーハン・ジギスムントと妃アンナ・フォン・プロイセンの娘。兄は選帝侯ゲオルク・ヴィルヘルム
1620年、グスタフ・アドルフと結婚し、1626年にクリスティーナ王女を生んだ。
当時、ヨーロッパで最も美しい王妃と謳われるほどであったが、マリアは異常とも言われたくらいにグスタフ・アドルフを熱愛していた。非常に情熱的で、ヒステリー気質で、女性らしいが知性はないと人々にみなされていた。グスタフ・アドルフは、もし自分が死ねば自分の子は王位を継げず、マリアは政治の実権を握ることは叶わないだろうと書き残していた。彼は、マリアの他にエヴァ・ブラーエという愛人がいたが、そのことにマリアが気づいていたかどうかは明らかになっていない。
1632年、グスタフ・アドルフが戦死すると、マリアは周囲が彼女は狂ったと勘違いするほど、深い絶望に陥った。彼女は夫の埋葬を許さず、時がたっても遺体を抱き、触れ、キスをするので、それを見た者は体の具合が悪くなるほどだったという。最後には王は埋葬されると、彼女は遺体を取り戻そうと、埋葬場所を探し出し破壊したという。
1636年、マリアは娘クリスティーナを監禁したが、のちにマリアは反逆の疑いをかけられてデンマークへ亡命し、王族としての特権を剥奪され、事実上スウェーデンから追放された。1643年にブランデンブルクへ渡った。
マリアは1648年に再びスウェーデンへ戻ったが、クリスティーナとの親子関係が修復することは二度となかった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリア・エレオノーラ・フォン・ブランデンブルク」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.